戸籍の起源について考えたことはありますでしょうか。
実は戸籍の起源は意外と古く、制度として確立されたのは、大化の改新後といわれてます。
当時の戸籍作成は課税。賦役や徴兵を目的としておりましたので、現行の戸籍の目的である、『日本国民の身分関係を登録し証明する』ということとは若干異なります。
ちなみに現行のような戸籍が作られるようになったのは『明治5年式戸籍』からです。
戸籍の様式
明治5年式戸籍までは、各地でそれぞれのやり方・様式で戸籍が作られており、全国的に統一されておりませんでした。
しかし明治5年に戸籍法が施行され、日本で初めて全国統一の戸籍が誕生しました。
その後も法律が改正され、『明治19年式戸籍』『明治31年式戸籍』『大正4年式戸籍』と時代と供に変化してきました。
今、お話しした大正4年式戸籍までを『旧法戸籍』といい、昭和22年に公布された新民法に基づき改正された戸籍法が昭和23年に施行され、それ以降に作成された戸籍を一般的は『現行戸籍』と呼びます。
現行戸籍の原本は各市町村でB4判の紙に記録し調製することになっておりましたが、平成6年戸籍法の一部が改正となり、磁気ディスクに記録して調整できるようになりました。
戸籍の保存期間
相続手続きをするになたり、避けて通れないのが戸籍の収集です。
戸籍の収集には現行戸籍だけでなく、大正4年式戸籍や明治31年式戸籍に遡って調べなければならない場合があります。
それぞれの戸籍の様式といつからいつまでの間、作られていたかをしっかりと把握してないと、解読する際に読み誤ることがあります。
戸籍簿については、保存期間は定められておりません。
しかし除籍簿や改製原戸籍については、保存期間の定めがあり、除籍簿は80年、改製原戸籍は80年~100年とされてましたが、平成22年の戸籍法改製により、除籍簿・改製原戸籍簿ともに保存期間は150年に変更されました。
ちなみに平成22年の改正前に、保存期間経過などにより廃棄されてしまった除籍簿などがある場合、その謄本は発行されません。
ただし、市町村に請求すれば、当該謄本に変えて、保存期限経過により破棄されたという『通知書(または証明書・告知書)』を発行してくれます。
明治31年式戸籍とは
明治31年式戸籍は、明治31年7月16日から大正3年12月31日まで作られました。
1枚目の表には2人、裏には3人、2枚目以降は、すべて3人づつ記載できるような様式になってます。
明治31年式戸籍の特徴は
【戸主ト為リタル原因及ヒ年月日欄】があることです。
この欄には、『いつ・どういう理由』で戸主になったかが記載されてます。
また、明治31年の戸籍法では、身分登録制が設けられてました。
出生・死亡・婚姻・離婚・縁組等身分に関する届出をすると、まずは身分登録簿に詳細が登録されて、そのうち重要な身分事項のみ戸籍簿に転記されるというものでしたが、二十手続きとなり、利用が煩雑であったため、大正4年式戸籍からは廃止されてます。
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本籍欄
明治19年式戸籍までは、その多くが地番で表示されてましたが、一部に屋敷番号で表示されているものも混在したため、明治31年式戸籍ではすべて地番による表示になってます。
前戸主欄
この欄には、前戸主の氏名が記載されます。
明治19年式戸籍では前戸主との続柄も記載されてましたが、明治31年式戸籍では氏名だけとなり、別途戸主欄に『前戸主との続柄』が記載されるようになりました。
個人欄
戸主について
「戸主ト為リタル原因及ヒ年月日欄」があるのが、前出の通り明治31年戸籍の特徴です。
この欄には、「どのような原因で」「いつ戸主となり」戸籍が作られたかが記載されます。
こちらのサンプルの例では、前戸主の橋本六兵衛の死亡したことにより、明治33年9月20日に長男の平蔵が戸主となり、翌月の10月17日に家督相続の届け出を行い受理されてます。
今まで戸主であった父の六兵衛の家族としてその戸籍に在籍していた平蔵は、家督相続届の受理によって、はじめて戸主として戸籍が作られたことがわかります。
事項欄
「家督相続による戸籍の抹消」
戸主である平蔵の死亡により家督相続が開始して、平蔵の婿養子の銀一が家督相続したことが分かります。
これにより、戸主の平蔵から銀一となり、新たに戸主として銀一の戸籍が作られるため、本戸籍は抹消され除籍になった旨が記載されます。
左側の本籍欄に《除籍》の印が押されます。
戸主の表示欄
この戸籍で誰が戸主なのか分かるように記載されます。
「前戸主との続柄欄」「父母欄」「父母との続柄欄」
これらが明治31年式の戸籍様式から新しく設けられた欄です。
これらが表記されることにより、身分関係が従来の様式の戸籍よりわかりやすくなりました。
母について
「戸主との続柄」により、イクは、戸主平蔵の母であることがわかります。またイクが記載されている欄には、母であるイクが婚姻により「どこの戸籍」から入籍したのかがわかります。
こちらの例ですと、同じ京都府加佐郡山川町に本籍がある川村公介の長女で、安政6年前戸主の六兵衛と婚姻し橋本家に入籍しています。
なお、明治31年7月16日以前に婚姻により入籍した場合、「入籍」と記載されますが
婚姻の記載はありませんが、続柄などから婚姻であることを読み取ります。
<弟について>
弟の又次郎は、戸主平蔵の家族として在籍してましたが、明治40年に平蔵の同意を得て、分家したため、この戸籍から除籍されました。
そして山川町字海山参百五拾七番地に本家と同じ氏(分家は本家と違う氏を名乗ることはできない)である橋本家を設立し、新たに戸主となった戸籍が編製されるというように読み取れます。
妻について
母と同様に、婚姻によりどこから入籍したかが記載されてます。
妻のとめが婚姻前まで在籍していた戸籍の戸主である、市原与三郎(戸主市原源一郎姉)は、その続柄から妻の父親ではなく、妻の弟であることが読み取れます。
さらに婚姻関係解消の記載があります。
婚姻解消事由には、離婚と配偶者の死亡があります。
夫婦の一方がが死亡すると婚姻は当然に解消しますので、ここでは配偶者である平蔵が死亡し婚姻が解消したことを記載してます。
こちらの記載については、昭和13年11月7日付けの法務省令により、夫婦の一方が死亡した場合の、記載例は『○年○月〇日夫(妻)何某死亡㊞』と記載されるようになっております。
<長女について>
長女であるきくの出生について記載されていますが、その届出と役所への受付日だけで、出生の場所および届出人についての記載がありません。
重要ポイント
これは、明治31年の戸籍法では身分登録簿が作成されることになっており、そちらに詳細を記載するため、重要な事項のみ戸籍簿に転記することになっていたためです。
この身分登録簿には出生はもちろんですが、死亡。婚姻・縁組など各届出ごとに記載され編製されました。
その次にきくの婚姻の事実が記載されてます。
旧法の家制度では、妻は婚姻により夫の家に入籍しますが、きくの婚姻事項には婿養子と記載があるため、夫が妻の家に入籍したことが読み取れます。
そのため長女のきくは、婚姻によりこの戸籍から除籍されませんでした。
婿養子について
長野銀一は、戸主である橋本平蔵の長女きくと「婿養子縁組結婚」により、橋本家の戸籍に入籍しています。
婿養子縁組婚姻とは、旧民法の養子縁組制度で、男子が養子縁組と同時に養親の家にいる養親の女子と婚姻するもので、縁組と婚姻のふたつの身分関係を同時に成立させるものです。
養子であるため、父母欄に加えて『養父母欄』『続柄欄』が設けられており、誰の養子であるかが分かるようになっています。
家族との続柄欄
この欄は、家族の配偶者(例えば弟○○の妻など)などまたは戸主と直接に血族関係を有していないが、家族を通じて戸主と親族関係を有するもの(例えば、妻○○の姪孫=男女問わず兄弟姉妹の孫を指す)について記載します。
なお、戸主と触接に親族関係を有しない者については記載しません。
孫について
孫の肇の出生事項の記載は、きくの出生事項の記載に比べて、出生の場所、届出人の資格氏名まで記載されている。
これは、大正3年の戸籍法改正により、身分登録簿が廃止され、戸籍簿に統一して記載することになったためです。